憲法

概要

商法(しょうほう)とは、商人の営業、商行、その他商事については、他の法律に特別の定めがあるものを除くほか、この法律の定めるところによるという日本の法律である。

形式的意義での商法

制定法である「商法」(明治32年法律第48号)と題される法律(商法典)を形式的意義の商法という。これは狭義の形式的意義における商法であり、広義の形式的意義における商法は、商法典およびそれに関連する法令を含めた法令群をさす。つまりは、単に商法と言った場合、「商法という題名の法典単品」を指す場合と、「商法という題名の法典及びそれに関連するいくつかの法令の総称」を指す場合の二通りがある。

  • 第一編 総則
  • 第二編 商行為
  • 第三編 海商

なお、制定時から昭和13年法律第72号による改正までの商法典の編立は「第一編総則 第二編会社 第三編商行為 第四編手形 第五編海商」、その後会社法(平成17年7月26日法律第86号)制定に伴う改正までは「第一編総則 第二編会社 第三編商行為 第四編海商」であった。

商法の分野

日本の商法は関連する法律を含め、一般に下記のように分類される(下記の名称を有する法典が存在するとは限らない。)。

商法総則

商法の全体の通則となる規定であり、商法の第1編「総則」(1 - 32条)がこれに該当する。しかし、実際問題としては、第1章「通則」を除き総則としての役割を果たしているとは言い難い面がある(詳細は商法総則を参照)。

会社法

会社について規定する法分野であり、会社法(平成17年7月26日法律第86号、平成18年5月1日施行)により規律される。会社法典の施行前は、商法旧第2編「会社」、旧有限会社法、旧株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律にある規定をあわせて会社法と総称していた。

商行為法

企業活動としての法律行為(商取引)に関する法分野であり、商法第2編(旧第3編)「商行為」にある規定に相当する(狭義では、下の保険法を除いた部分のみを商行為法とよぶ)。

保険法

商行為としての保険契約に関する法に関する法分野であり、保険法(平成20年6月6日法律56号、平成22年4月1日施行)(陸上保険)と商法第3編(旧第4編)第6章「保険」(海上保険)がこれにあたる。本来は上記の商行為法の一部であるが、商行為法の中でも独自の体系を有することから、独立した分野を形成している。保険法の施行前は、商法第2編(旧第3編)第10章「保険」と商法第3編(旧第4編)第6章「保険」にある規定を保険法と称していた。

海商法

海上企業に関する法に関する法分野であり、商法第3編(旧第4編)「海商」、国際海上物品運送法、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律などが相当する。

有価証券法

有価証券を巡る法律関係に関する法分野であり、かつては商法旧旧第4編の第1章から第3章までが手形を、同第4章が小切手を規定していたが、昭和13年法律第72号による改正によってこれらの条項が商法典から削除され、別個独立した手形法及び小切手法が制定された。その他の有価証券については別の法分野の一部として扱われるのが実情である(例えば、株券については会社法、船荷証券については海商法)。

実質的意義での商法

実質的意義での商法は、私法の一般法である民法の特別法として位置づけられるが、その法領域については、議論がある。

当初は経済上の商、すなわち生産者と消費者との間に介在して有形財貨の転換の媒介をする営利行為(固有の商)を対象とすると把握されてきた。しかし、経済の発達により、このような媒介行為の必要を満たすための補助的な行為(銀行取引、物品運送、損害保険など。補助商)やこれらと類似の経営方法によるもの(出版、旅客運送など。第三種の商)についても、商法の対象になるとされるようになった。

このような事情があることから、上記の行為を統一的に把握するため、どのような点に着目して実質的意義の商法を把握すべきかが問題となる。

商的色彩論

田中耕太郎の主張した説で、法律事実の商的色彩に着目することにより、民法から独立した商法体系を構築することは可能であると主張する説。

企業法論

西原寛一の主張した説で、企業生活関係を規律の対象とする法規の全体をいうとする説。この見解が出てから、日本では、商法を「企業に関する法」と解するのが通説となっている。

民商二法統一論

民商二法統一論とは、民法典と商法典とを一元化すべきであるという主張である。民法から独立した商法体系を構築することは不可能ないし不要であるとする見解を前提としている。日本では明治の梅謙次郎以来その歴史は長いが、あまり支持されていない。

商法の適用と法源

商人および、その取引の相手方に適用されるため、現在日本で行われるほとんどの取引関係に適用される法律は、第一次的には商法である。商法に規定がない場合は慣習法である商慣習法に従い、商慣習法にも規定がない場合には民法が適用される。

商法の歴史

旧商法

江戸時代には幕府が儒教的な重農抑商政策を進めたこと、諸藩が自藩の産業保護を優先した事によって、商業の全国的レベルでの発展は抑え込まれた。会社形態の組織が生まれる事はなく、もっぱら個人又は同族経営による商店のみが存在した。そのため、商取引は商慣習に従って行われた。それでも大坂などの大都市を中心に高度な為替システムの成立を見るなど、その水準は決して低くはなかった。

明治に入ると、近代的な会社・企業組織などの考えが日本にも伝わった。政府も欧米の巨大な資本に対抗するには日本でも企業を起こしていく必要性があると考えた。そこで士農工商的な職業の制限を廃して、会社設立を容認する政策を採った。だが、会社の設立のルールが存在しなかった(先行していた国立銀行条例(1872年)が模範例とされたが、あくまでもモデルでしかなかった)ため、その組織形態もバラバラでありすぐに倒産する会社も少なくなかった。また為替などに対する統一した基準と法的根拠を求める声も高まった(1882年に「為替手形約束手形条例」が暫定的に定められた)。

そこで1881年4月、外務省嘱託であったドイツの法学者で経済学者でもあったヘルマン・ロエスレルに商法起草を依頼したのである。彼はドイツの商法を基(破産法などはフランスによる)にした草案を1884年1月に完成させた。この草案を基にして1890年に成立したのが、旧商法と称される「商法」(明治23年法律32号)である。この商法は「商ノ通則」「海商」「破産」の3部で構成されていた。これを審議した元老院では、施行を翌年1月からと定めた。

商法典論争

ところが、この年の秋から帝国議会が開かれるようになると、民法典論争の煽りを受けて新しい商法に対する反対論が噴出した。そこには法学者のみならず、商工会議所(当時、東京では「商工会」、大阪・神戸では「商法会議所」と呼ばれていた)に属する商工業者からの抗議もあった。

主な意見として、一つは民法と商法とは密接な関係にあるにも関わらず、民法はフランス系で商法はドイツ系で法体系が違っており、双方の間に重複が多すぎるという指摘である。特に「契約作成能力」や「委任契約」に至っては2つの法律の間に矛盾さえ生じていた。もう一つはロエスレルが日本の商慣習を「曖昧で前近代的で全く考慮に値しない」と評して慣習法としての価値を全く認めようとしなかったことがある。穂積陳重らが商法はそもそも商慣習の集成に由来するのに現地の商慣習を無視した商法はありえないと主張した事もあって、実際の商法では商慣習を認めたものの、低い地位に置かれていた。

だが、同じ商工会議所でも海外貿易の盛んな大阪では早期施行を要求する嘆願が、逆に東京では施行延期を求める嘆願が出されるなど、複雑な展開を見せた。結局、商法の施行は2年間(後に期限は更新された)延期されることになった。だが、後に東西の商工会議所の間で日本に具体的な規定がない会社法や破産法については暫定的に商法を施行すべきであるという意見の合意を見た事もあって、1893年7月に会社・手形及び小切手・破産法の部分の先行施行が実施された。そして、1898年7月に施行期限延長手続の中止によって全面施行に至る。もっとも新しい商法草案が既に帝国議会において審議中でその成立が時間の問題だったために敢えて再度の延長手続は取られなかったというのが実情とも言われている。

1893年3月、梅謙次郎・岡野敬次郎・田部芳によってドイツ商法を基本にした草案が出され、当時の伊藤博文首相を長とする法典調査会において審議され、梅と穂積陳重・富井政章によって商法法案として纏められた。1899年3月に新しい商法が公布され、3か月後に旧商法(破産法は旧商法をそのまま転用)に代わって施行されることになった。主な改正点としては、会社設立を許可制から準則主義にし事実上の自由化を行ったこと、商慣習の地位を引き上げて商法にない規定は商慣習法を援用するようにしたこと、会社の合併の規定を設けたことなどが挙げられる。

(引用:Wikipedia)

Copyright 2011 六法ナビ All Rights Reserved.